フルールフュウ    



左足首の上をシェイドの手のひらが返る度に、まっさらな包帯がくるくると巻き付けられていくその様子を
眺めながら当のレインは、白いリボンがダンスしてるみたいだわ、などとのんきなことを考えていた。
月の国の王子の自室、ベッドに腰掛けたレインの耳には遠い大広間の華やかな喧騒は聞こえて来ない。
たまにレインが身じろぎする際に漏れる微かな衣擦れの音だけが、その部屋に生まれる唯一の音だった。
部屋の主が無言でいれば、客人であるレインも自然そうなる。部屋に漂う空気を別段重苦しいとも
居心地が悪いとも思わなかったために身を委ねていた、ただそれだけの話だ。

「紹介された瞬間にすっ転ぶ、っていうのもある意味有効な外交手段だな」
「へ?」
「一度見たら、確実に忘れられない」
「な……!」
前言撤回。無言の作業のあいだ、ずっとこんな憎まれ口を練っていたのだとしたら
ずっと何かしら捲し立てていてやれば良かった、とレインは心底後悔した。
それこそ彼の気が散るぐらいに、だ。
「終わったぞ」
そんなレインの心中なぞちっとも慮らず、仕上げに甲の真上で固く蝶を結んでシェイドの指はさっさと離れていった。
さっきまでずきずきと脈打つような鈍い熱を持っていた足首も、きついくらいに巻かれたそれのおかげか
今はだいぶ楽だ。シェイドのおかげ、と考えるのは何やら癪な気もするので、美しく漂白された包帯の
おかげだと思うことにする。

「もう、シェイドはいつも余計なことばっかり云うんだから。そんなふうだから――」
「だから、何だ?」
「……何でもないわよ」
そんなふうだから、云おうと思っていた言葉――ここまで抱えて来てくれて、手当てしてくれてありがとう、の
一言もどこかにすっ飛んでしまうのだ。
「残念だったな」
「……転んだこと?まあ、残念っていうか私の不注意ではあるけど……」
「憧れの王子様と踊れなくて」
その台詞が宝石の国の金髪の王子を指しているのは考えるまでもなく分かったので、そうね、と
溜息を乗せて答える。
確かにブライト様と踊れなくなってしまったのは残念でならないけれど、それはすなわち
今、目の前で仏頂面をして壁に凭れている王子様とも踊れなくなってしまったことにもなる、のだが。
――たぶん気付いてないわよね、シェイドだし。
まあ、彼の妙な部分での鈍さは置いておくとしても、きらびやかな照明で彩られ飾られた、パーティーの会場が
恋しいのは事実だ。けれどこの足ではダンスも踊れず挨拶して回ることもろくに出来ない訳で、
だからといって壁の花を貫くというのもレインの性格上難しい。
そんなこんなでシェイドの腕に抱えられ、――ちなみにその時も一人で歩けるだの、むしろその方が
他の参列客の邪魔になるんだ莫迦だのとひと悶着があったりした――大広間を後にして。
シェイドは腕を組んで窓の外を眺め、レインはきつく包帯の巻かれた左足を抱えて彼のベッドをひたすら
暖めている今現在に至るのである。

――あれ。
いつまで立ってもその態勢を崩そうとしない彼の姿に、ふと浮かんだ疑問を問いかける。
「……ねえ、シェイド」
「何だ?」
「もう、戻っても大丈夫よ。傍についててくれなくても、そんな子供じゃないんだし……
あ、いつかの時みたいにあなたの部屋を荒らしたりなんかもしないから」
仮にも主催国の王子が長時間席を外しているのも問題なのではないか、と考えた末での台詞だったが
彼から返ってきたのはちらりと見やるような視線だけで、返答は無し。
「……ちょっとぉ!そんなに私のこと信用してないわけ?」
「もうすぐだ」
「もうすぐ……って、なにが?」
やっぱり何も答えてくれないままつかつかと歩み寄られ、きょとんと彼を見上げるレインの肩と膝下に、
断りも無しに差し入れられた腕。
「きゃ…………わ、ひゃ、な、なっ……」
世界が揺れた、と思ったらあれよあれよという間に抱え上げられて、気付けば口の悪い王子様の腕の中にいた。
悲鳴をひっくり返らせたレインに構わず、ドレスに皺が寄るのにもまったく留意しない乱暴な仕草で
彼は腕の中のお荷物――としか云いようがない扱い方だ――のバランスを取り、
その態勢を保ったままで今度は窓辺へ歩を進める。
いつもならばいざ知らず、片足が言うことを聞いてくれない今のレインに出来ることはと云えば彼の首根っこに
齧りつくぐらいのもので、実際その通りの行動を取ったのだがくだんの本人から返って来たのは
優しさの欠片もないお言葉。
「暴れると落ちるぞ」
「誰のせいよ!」
「もうすぐだから、大人しく待ってろ」
だから何が、と怒鳴ろうとしたレインの視界に夜が落ちた。間近にあったシェイドの顔も理路整然と整った
彼の部屋も、窓の外に輝く月までもがすべて闇に閉ざされ、何が何だか状況がさっぱり分からない。
しかし平然とレインを抱えているシェイドの様子からすれば彼は事の次第を呑み込めているようで、
それがまたレインの勘に障る。
「ねえ、月の国はずっと白夜なんじゃ……」

言いかけた台詞、「や」の音をかたち作ったままのレインの眼前で、シェイドの藍の髪が照らされる。
瞬く間に続く、赤、青、黄のひかり。慌てて窓枠の外に目を走らせると、
常にこの国の白い夜を見守っているはずの月の代わりに、空に光の華が咲いていた。
うそ、と呟いた小さな声は部屋の床に転がり落ちてしまったように力無い。
おひさまの国に訪れる夜のような闇のなか、空には無数のひかりが広がり、流れ落ち、また昇る。

「…………きれい……」
さっきの「うそ」も今度の「きれい」も特に返事を期待しての呟きではなかったものの、後者にのみ返事があった。
「お前なら、見たがるだろうと思ったんだ」
「あれ、どうなってるの?空が真っ暗だけど」
「星のすべての夜を管理してるんだ、自国の夜の空を変化させる程度のことは簡単にできる。
パーティーの間ぐらいの短い時間なら、尚更だ」
「へえ……すごいのね」
交わされる言葉の合間も、レインの目は空で弾ける輝きから離れようがない。
あ、また光った、と思えばそれがいくつもいつまでも、それが月の国の空の永遠であるかのように続く、光彩の華。


「……もしかして、このために一緒にいてくれたの……?」
レイン一人では、突如訪れる暗闇にも戸惑うだろうから。
窓辺へ駆け寄ろうにも一苦労するだろう、痛む足を抱えていたから。
「パーティーにも出れない、捻った足を抱えて見る花火も一人きりじゃ味気ないだろう?」
見上げた藍色の瞳もまた、レインを見ていた。
びっくりするほど優しい顔をしたシェイドの頬が窓の外のひかりに照らされて、きらきらと万色に煌いて。
今の自分はきっと花火のせいでもなさそうな色に頬を上気させているのかもしれない、と思った。
だって、捻った左の足首よりも彼に見下ろされている顔のほうがずっと熱いような気がする、なんて。

「ご機嫌は直りましたか?プリンセス」
「ええ、とっても!ちっとも素直じゃない、どこぞの王子様のエスコートのおかげですわ」
妙な熱を訴えてくる頬を隠すつもりでそう云ってやると、
藍色の髪の王子様は憮然とした表情を隠そうともしなかった。

器用な手先と、不器用な性根。
甘い言葉はくれないけど、あたたかい腕はくれる。
本当に頭に来ちゃうことも一度や二度ではないけれど、同じぐらいに嬉しくなるときも
両手では足りないくらいあるってこと、あなたは知ってる?
ねえ、私だけのかわいいひと。

心の赴くままに、力いっぱい抱きしめてしまった彼の首にかかる負担はちょっと心配だったけれど。
程無くしてこめかみに寄せられた唇のくすぐったさに目を細め、レインは微笑んだ。






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