六点五センチメートルの姫君  


あ、しまった。と思ったときはもう遅かった。
ちょっと勢いよく振りすぎてしまった上半身が後ろに引っ張られる。
とっさに足で踏ん張ろうとしたけれど、ああ、そういえば動きにくいドレスと慣れないハイヒールだったんだった。
だめだ、転んじゃう――そう思って背中が床にぶつかる音と衝撃を想像していたのに、
気がついたら身体が宙に浮いてたからびっくりした。
違う、浮いてないや。あたしの背中にはブライトの手があって、そのおかげで転ばずに済んだんだ。
一瞬、宙に浮いたのは身体じゃなくて爪先だった。
ふんわりと、床に柔らかく下ろしてもらってほっとする。

「ご、ごめん!ありがと、ブライト」
「どういたしまして。この程度のことなら、いつでもどうぞ」
そう云ってにっこり笑うブライトは、王子様そのものだ。
レインが見てたら失神しちゃいそうだな。ダンスの最中に転びそうになって
相手の王子様が支えてくれるなんて、いかにも好きそうだし。

「すごいね、ブライト。意外と力持ちなんだね」
「これでも一応、男だからね」
「いちおう、って何で?」
「……分からないならその方がいいよ、うん」
変なの。でもまあいっか、ともう一度差し出されたブライトの手を取った。
ブライトと踊るのは楽しい。
さっきみたいに勢いがつき過ぎちゃっても絶妙のフォローが来るし、
こっちがして欲しいだけの動きが返ってくる。
あたしもレインほどじゃない――と、思う――けどダンスが苦手なほうなのに、
こんなに上手く踊れるのはきっと、ブライトのリードが上手いんだろうな。
なんか、キャッチボールしてるみたいだ。
こんなふうにわくわくして楽しいんだったら、ダンスもそんなに悪くないな、なんて思っていたら。


「きゃん!」
高い悲鳴。見なくても分かる、だって毎日聞いてる声だし。
でも人間の習性ってそういうものなのかな、思わず顔を向けたらホールじゅうの視線が
みんなそっちを向いていて、あたしのほうがどきどきした。
レインってば、レインってば。


「……お前には学習機能ってものがないのか?」
「な、何よ!ちょっとよそ見しただけでそこまで云うことないじゃない!」
「その度に全体重をかけた足で踏まれる身にもなれ。そもそも、まっすぐ相手だけ見てても転ぶような
 見事な運動神経の人間が、ダンスの最中に余所見なんかしたらどんな有様になるか、
 少し考えれば分かるだろうが」
「あのねえ、それは二回も三回も足を踏んじゃったのは確かに私が悪いけど、そういうところを
 優しくエスコートしてくれるのが素敵なプリンスでしょう?
 シェイドだって一応プリンスの端くれなんだから、もう少し考えてくれたっていいと思うわ!」
「端くれで悪かったな。世の中の王子が皆が皆、ふしぎ星一プリンセスらしくないプリンセスのために
 身を砕いてくれると思うなよ。ついでに俺が足を踏まれたのはさっきで六回目だ」
「な、な、な……っ」

ちょっと離れたところであたしたちと同じようにダンスを踊ってた
レインとシェイドが、いつの間にか立ち止まってぎゃんぎゃん騒いでる。
……うーんと、騒いでるのはレインだけで、シェイドはいつもと一緒だけど。

「相変わらずだね、あの二人は」
「あ、は、はは……で、でも、さっきあたしが足を踏んじゃったときは、シェイド、あんなに怒らなかったよ。
 ……一回しか踏んでないけど」
「……まあ、一回だけ踏まれるのと六回踏まれるのとじゃ色々と違うんじゃないかな」

そうこうしてるうちに、音楽が変わった。
ふたりに注目してた視線がちらほらと戻っていって、ホールはまたダンスの渦になる。
途中で投げっぱなしなのが嫌なのか、レインもしぶしぶって感じでもう一度シェイドの手を取った。
ああいうところ、妙に負けず嫌いで頑固なんだ、レインって。
レインはさっきと同じようにシェイドに文句ばっか云ってるけど、でもダンス自体は楽しそうだ。
今度は上手く踊れてるからかな。足も踏んでないみたいだし。
そんなことを考えながらじっと見てたら、あ、と思った。
青いドレスがホールで踊る他の人たちにぶつかりそうになる度に、その腰を支える手がそっと動いて
軌道を変える。自分のステップとシェイドに向ける文句で頭がいっぱいなんだろうレインは、
多分気付いてなさそうだ。
ほえ。やっぱすごいな、シェイドは。
……ついでに、そこまでされててもそれでもさっきみたいに転んじゃうレインも結構すごい、と思う。
そんなふうに影で頑張ってるシェイドの努力のおかげか、
妹の贔屓目を引いてもふたりのダンスは楽しそうできらきらしてた。


ちくん、って胸が鳴った。
鳴った?何が鳴るんだろう?
あたしの身体は楽器じゃないのに、胸の奥から音がする。


「ファイン?……どうかした?」
気付いたら足が止まってた、みたいだった。
ブライトの手を取ったままで突っ立ってるあたしに、ブライトが心配そうな顔をする。
「え。あ、うん。……えっと、さっきからずっと踊ってばっかだから、お腹空いちゃったな、って」
多分、きっとそうだ。
だからなんか変なんだ、あたしの身体。
「そう?なら、少し休もうか。僕も喉が渇いたような気がするし」
「うん、そだね。えへへ」

ブライトが取り分けてくれた苺のタルトを一口食べて噛んで呑みこんで、
そこまでしてもやっぱりあたしの胸は変だ。
隣でグラスを傾けてるブライトは珍しく黙ったままでホールの中央を見てる。
何を見てるんだろう、とその視線を追ってみたら、その先にいたのは青いドレスと黄色の正装姿。
レインがちょっと難しいステップを失敗せずに踏めて、誇らしげに笑って。
それを支えてるシェイドの表情も、いつもよりちょっとだけ柔らかく見えた。

あそこまで判りやすいタイプもないと思うんだけどな、とか頭の上から声がした。
意味はよくわからなかった。
わかりやすい、ってレインのことなのかな。シェイド……は、わかりやすくなんかないし。
ブライトの顔を見上げてみたけれど、ブライトは何も教えてくれなかった。
ただ人差し指を唇に当てて、しー、っていうポーズでちょっと笑っただけ。
やっぱり、よくわからなかった。


いつもと同じはずだった。
おひさまの国でパーティーがあって、レインはブライトと踊れることを楽しみにしてて、
あたしはごちそうとお菓子が楽しみで、キャメロットにお説教されて。
シェイドやブライトと踊って、たまに失敗もしちゃって。
いつもと同じなのに、何かが違う気がする。何でだろう。何が違うんだろう?


「なんか、ちくちくする気がする」
「……どっちに?」
「え?」
あたし、今、何て言った?
それから、ブライトは何て云った?
頭がぐるぐるする。言っちゃいけないことを言ったような、
黙ってちゃいけないことをついに口に出してしまったような。
「あ、う、あの。ごめん、あたし、いま――」
慌てて見上げたブライトの顔は、今まで見たこともないような優しい顔だった。
あれ、ブライトってこんな顔で笑うひとだったっけ?
いかにも王子様、っていうぴかぴかした笑顔じゃなくて、
そうだ、お父様が城の窓から街並みを見てるときの顔に似てるんだ。

さっきのちくん、がまたちょっと大きくなった。
知らない。あたしは、こんなふうに笑うブライトは知らない。
あんなふうに笑ってるレインも、シェイドも、みんな知らない。

「……あのね、これって」
「今はまだ、いいよ」
唇に当てられた、指の先。
ブライトの右手が、あたしの言いかけた言葉を遮るみたいに唇にあった。

「まだ気付きたくないのなら、いいよ。いつか自分で気付ける日が来るまで、しまっておいたらいい」

唇を塞いだ指がそっと離れた後も、あたしの胸は時計みたいにちくちく音を刻んだままだ。


大好きな人たちが、知らない人に見える。
レインは何で、怒りながらシェイドと楽しそうに踊れるんだろう?
シェイドは、あんな顔をして誰かを見たりするようなひとだった?
ねえ、ブライト。どうしてそんな顔で、そんなこと云うの?


「ファイン!」

多分、今、一番聞きたかった声で名前を呼ばれた。
レインがこっちに駆けてくる。転んじゃうよ、そんなに走ったら。
でも、もしそんなことになっても後ろからレインを支えてくれるんだろう腕のおかげで、
きっとレインは転ばずに済むような気がする。
青いドレスを追うように、ゆっくりと歩いてくるひとの姿を見て、そう思った。
ダンスはもう終わったんだ。
「ファインったら、また食べてるの?せっかくブライト様とのダンスだっていうのに。
 ブライト様に粗相はしなかった?」
「そんなに心配しなくても、ちゃんとできたってば。ね、ブライト」
「そうだよ、プリンセスレイン。ファインもずいぶん上達したと思うよ」
「ダンスは確かに上達したけどな。その皿に乗ってるケーキの山は何なんだ?」

ほら、いつもと一緒だ。
レインはあたしの心配ばっかりして、ブライトは優しくて、シェイドはちょっと意地悪で。
何も変わらない。
きっと新調したハイヒールのせいだ。
いつも履いてた靴とは違った慣れない高さのせいで、目線だけじゃなくて
身体まで混乱してるみたいにおかしくなる。
今すぐこのヒールを折ってしまって、裸足で走っていけたらいいのに。

六点五センチメートル開けた視界の息苦しさに、胸がまた、ちくんと鳴った。



一期から数年後、とっくに悟りを開いた王子たち(特にブライト)と 
いまだ水色時代真っ最中のふたご(特にファイン)。 


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